論文 - 寺内 衛
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『イノベーションのジレンマ』における「技術開発のSカーブ」という視点の限界について -“技術”の詳細を理解していない者による“技術経営論”に対する技術者からのコメント-
寺内 衛,寺内かえで
14 ( 1 ) 1 - 12 2024年3月
共著
担当区分:筆頭著者, 責任著者
C. M. Christensenが用いた「技術開発のSカーブ」という視点は,彼の著書『イノベーションのジレンマ』の根幹である.この「技術開発のSカーブ」がなぜ「S 字」になるのか?を考察し,Christensenには“見えなかった”ものを題材に「技術の詳細を理解しない視点の限界」を議論した.次に,既存技術を敢えて捨てることによってメーカーとして成功を収めた事例を例示し,最後に,持続的イノベーションがなされ得なくなった場合であっても,ひとたび現代社会のインフラ実現に不可欠となった技術は(経営者や投資家にとっては魅力の無いものになっていたとしても)最低限そのままで,可能であれば“その実現に係るコストをより低下させられ得る方法で”継承されていかざるを得ないことを指摘した.
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人体の基本的な機能に関するリテラシーについて:大学1回生へのアンケート結果 ―日本人は,なぜ屋外でもマスクをし続けているのか―
寺内 衛・寺内かえで
13 53 - 68 2023年3月
共著
担当区分:筆頭著者, 責任著者
日本におけるCOVID-19(SARS-CoV-2 感染症)第8 波が未だに収束していない2023 年1 月20 日,首相がSARS-CoV-2 感染症の感染症法の位置付けの変更の検討を厚生労働大臣らに指示した1が,果たして日本国民は感染症についての基礎的な知識をどの程度有しているのだろうか?2023 年に入り,(病院の休診日翌日に相当する日を除いて2)日々300 名以上のSARS-CoV-2 感染症による死亡者が発表され続けている3時点で,高等学校までに学んだはずの「感染症」や「人体の免疫機構」に関する知識を実際にどのくらい正しく認識しているのか?について,COVID-19 パンデミック開始後に大学に入学した1 年次生へ経時的に調査した結果に関して報告する.
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“コミュニケートされる情報”という視点から見た「芸術」について
寺内 衛・寺内かえで
13 35 - 51 2023年3月
共著
担当区分:筆頭著者, 責任著者
『芸術とは,創造者(発信者)によって受容者宛てになされた情報の発信様式であり,芸術表現・芸術作品とは,創造者と受容者とで共有される情報である』と定義し,芸術表現・芸術作品に用いられる“記録媒体”(表現媒体)の発明・進化と,その芸術表現・芸術作品の受容者並びにその芸術表現・芸術作品に係る『コスト負担者』を考えることによって,古代ギリシャ以降現代に至るまでの芸術並びに芸術作品の変遷が,洋の東西を問わず,合理的になされてきていることが理解される.
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「SIRS感染症モデル」から考える日本のCOVID-19対応について
寺内 衛・寺内かえで
13 1 - 17 2023年3月
共著
担当区分:筆頭著者, 責任著者
日本における2022 年のSARS-CoV-2 感染症による累積死亡者数は速報値で39,000 名を超え,2023 年1 月15 日現在で1 週間当たり2,900 名を超えていて未だにピークは見えていない(新規感染確認者数2の増加も同様である).これは1 年間が52 週であることを考えれば,2023 年の間に10 万人以上の人命がSARS-CoV-2 感染症で失われる可能性があることを意味しているが,そのようなことは全く報道されていない.ワクチン接種の効果が時間の経過と共に減弱することが明らかになっているにも拘わらず追加接種率が低迷するなかで迎えた3 年ぶりの「行動制限の無い年末年始」がもたらすであろうものを2023年1月末時点で予測する.
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寺内 衛・寺内かえで
12 1 - 19 2022年3月
担当区分:筆頭著者, 責任著者
SARS-CoV-2感染症によるCOVID-19パンデミックは,それ以前の現代社会におけるさまざまな“歪み”を図らずもあぶり出した.そのような“歪み”のなかで特筆すべきものが極度の「専門家依存」であり,我々市民の多くが「自ら考え行動する」ことを放棄してしまい,パンデミック宣言後2年を経過しても混乱は続いている.人類が有する『知識』を体系的に融合してそれに基づく行動を一人ひとりが行なえるようにならない限り,「専門家依存」は解消されない。現状は,『知識』に関してフランス革命以前の封建制度に戻ってしまったことを意味している。今こそ「百科全書派」が目指した「知の共有」が必要とされている.
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今,知らなければならないこと ―SARS-CoV-2 感染症(COVID-19 パンデミック)についての基礎知識―
寺内 衛, 寺内かえで
Hirao School of Management Review 11 101 - 122 2021年3月
共著
担当区分:筆頭著者, 責任著者 出版者・発行元:甲南大学マネジメント創造学部
2019年末に中国・武漢で確認されたSARS-CoV-2感染症によるパンデミック(COVID-19パンデミック)は,2021年1月現在,世界中で累計罹患者数並びに累計死者数ともに増加の一途をたどっている.日本では人口比で他国と比較すると罹患者数及び死者数は少ない方ではあるものの「科学的知見並びに科学的方法に基づかない“対策”」の結果として新規感染者数の制御が不能となり,11都府県に対して2回目の緊急事態宣言が発出されるに至っている.「科学的知見並びに科学的方法」に基づく「感染症対策の基本」に立ち戻ることこそがCOVID-19パンデミックを収束させる唯一の方法である.
DOI: 10.14990/00003802
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Preferences for STEM Subjects and Daily Life Habits among University Freshmen in Japan 査読あり 国際誌
K.Terauchi, G.Mizugaki, M.Terauchi, S.Yoshida
Proceedings of 2016 AAAS (American Association of the Advancement in Science) Annual Meeting 2016年2月
共著
出版者・発行元:American Association of the Advancement in Science
In the 2012 Programme for International Student Assessment (PISA), Japanese students ranked fourth, showcasing strong math and science skills among OECD countries. However, in 2015, only 151,000 out of 617,500 freshmen in Japan's universities chose to major in STEM fields. A survey revealed that only 20% of Japanese adults expressed a strong interest in scientific discoveries, compared to over 33% in the US and UK. This raises questions about why only a quarter of Japanese students pursue STEM subjects and when they lose interest in these areas. To investigate, researchers distributed a questionnaire to over 1,700 freshmen from various universities, including national women’s universities and private institutions. Using k-means clustering, they categorized students based on their daily habits and analyzed their preferences in subjects throughout their education. The study identified nine clusters based on students' sociability and interests in nature or machinery. Notably, two clusters represented students who chose non-STEM majors and disliked math and science, while four clusters included those who pursued STEM majors without disliking these subjects. A significant finding was that the recognition of math and science as weak subjects increased dramatically as students transitioned to high school, even among STEM majors. This suggests potential barriers in Japan's math and science curricula, particularly during the junior high to high school transition, prompting the authors to explore these barriers and seek effective solutions.
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日本において消費されるエネルギー資源についての一考察 査読あり
寺内 衛,寺内かえで
エネルギー環境教育研究 10 ( 1 ) 45 - 54 2016年1月
共著
担当区分:筆頭著者, 責任著者
現在の日本は、エネルギー資源の9割以上を海外からの輸入に依存している。そして、電力によって実現される豊かで便利な日常生活を支えるために、国内に供給されるエネルギー資源総量の2割以上を、“発電”というエネルギー資源形態転換時の“損失”として費やしている。この状況は、2011年の東日本大震災及びそれに伴って発生した福島第一原子力発電所の事故以降も本質的には変わっておらず、損失割合はむしろ増加した。2013年度における人口1人当たりのエネルギー資源供給量は、1880年比で36倍超になる。1990年度と比較すると、2013年度はエネルギー資源消費量はほとんど変わらない一方、エネルギー資源供給量が6 %以上増大したが、これは、エネルギー変換効率の低い、旧式の火力発電所の再稼働に伴う転換損失量の増大と呼応する。また、2013年度の産業部門でのエネルギー消費量は1990年度比で8 %以上減少したが、民生部門並びに運輸部門におけるエネルギー消費量がそれぞれ15 %以上並びに6 %以上増加した。このことは、民生部門においては情報通信機器の普及に伴う電力使用量の増大、運輸部門では旅客用自家用車によるエネルギー消費量の増大にそれぞれ対応しており、後者は、乗用車の保有台数が2013年度は1990年度比で1.71倍となっていることからも裏付けられる。
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寺内 衛,寺内かえで
Hirao School of Management Review 5 17 - 24 2015年3月
共著
担当区分:筆頭著者
日本語において,日常的には明示的な定義をせずにほとんど同義語のように用いられている「技術(technology)」及び「科学(science)」という概念は,本来明確に区別して使用されるべきものである.但し,それぞれの最先端は“science-based technology”/“technology-based science”であり,今日では相互不可分の関係にある.しかしながら,最先端の ICT (information communication technology) においても「失敗に学ぶという技術の本質」は少しも変わっておらず,このことこそが「根本的な技術リテラシー」として「情報リテラシー」と共に万人に理解されるべきものである.
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寺内 衛,寺内かえで
Hirao School of Management Review 5 37 - 42 2015年3月
共著
担当区分:筆頭著者, 責任著者
水素は,地球上には単体としてはほとんど存在しておらず,生産するために他のエネルギー資源から得たエネルギーが不可欠な物質である。加えて,沸点が 20 K(氷点下253℃)と極めて低く,かつ,常温では液化できないため,ガソリンや灯油などの常温で液体であるような化石燃料(炭化水素)と比較して,運搬や貯蔵に関しても,より多くのエネルギーが必要とされる.このような水素の基礎的な特性は,“水素エネルギー社会”を考える際には必ず考慮されなければならない.
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"教養としての科学 -Newton 力学/古典電磁気学/量子力学と「技術」との関連について-"
寺内 衛,寺内かえで
Hirao School of Management Review 5 25 - 36 2015年3月
共著
担当区分:筆頭著者, 責任著者
「科学」と「技術」の関係の変遷を,17 世紀末の Newton による古典力学-19 世紀後半の Maxwell による電磁気学の体系化-20 世紀の量子力学の誕生,という自然のありようについての知見の拡がりに関する主要な転換点毎に考察し,「科学」は常にその時代毎の「技術」に依拠して拓かれ,新たな“知見”が「技術」を資するようになるまでには有限の時間が必ず必要とされる,という結論を得た.また,“定量予測可能性”を Newton 力学以降の“近代科学”を特徴付ける性質として提案すると共に,『“身の丈を超える科学”を担う“コスト”』という視点の重要性についても指摘する.
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日本のエネルギー資源自給率 -「再生可能エネルギー」の学習前に学ぶべき基礎知識- 査読あり
寺内 衛、寺内かえで
大学の物理教育 20 ( 1 ) 27 - 30 2014年3月
共著
担当区分:筆頭著者
日本における資源別エネルギー供給量並びに部門別最終エネルギー消費量の推移の数値データを利用した講義を2013年度後期に実際に行なってみたところ、現在の大学生が有している「エネルギー」に関する常識が、第一次石油ショックを児童期の実体験として経験している筆者とは全く異なるものであることを強く認識させられる結果となった。大学生の「エネルギー」に関する常識は初等中等教育課程における「エネルギー教育」の内容によるところが多いと考えられるが、この状況の一端を報告し、その対応のために筆者が考案した「大部分のエネルギー資源を日本は海外に依存しているという事実を説明するための資料」とそれを用いた講義を受講した大学生の反応を紹介する。
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「再生エネルギー」の学習に活かしたい数量的データについて 査読あり
寺内 衛、寺内かえで
大学の物理教育 19 ( 3 ) 96 - 100 2013年11月
共著
担当区分:筆頭著者
本稿では、日本がこれまでにどのくらいの量のエネルギーをどのような手段によって得てきたか、また、それらエネルギーがどのような部門でどのくらい使用されてきたのか、を、(財)日本エネルギー経済研究所が公表している『EDMC/エネルギー・経済統計要覧(2013年版)』に基づいて数量的に示す。次いで、太陽光・太陽熱・風力・地熱など、現在我々が「再生可能エネルギー」と考えているものから原理的にどのくらいのエネルギーを取り出すことができるのか、に関して、自然科学的知見に基づく推定を示す。
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今、知らなければならないこと-被曝の被害と防護をめぐる“科学リテラシー”について- 査読あり
寺内 衛、寺内かえで
政経研究 ( 98 ) 78 - 92 2012年6月
共著
担当区分:筆頭著者, 責任著者
2011年3月11日の東日本大震災は、我々の現在の日常生活が、これまで人類が獲得してきた科学・技術の蓄積に如何に依拠しているか、さらに、それらの科学・技術を我々が如何に“認識していなかったか”を明らかにした。そして、福島第一原発の事故は、我々の一人一人に、これまで看過してきた科学的・技術的な判断を否応なく迫っている。
本論文では、最低限の“科学リテラシー”であると筆者が考えるいくつかの項目を“科学的な知見”に基づいて記述する。特に、“放射能に対する防護基準が、どのような知見に基づいてどのように決定されているか”/“放射能の生体影響について何がわかっていないのか”を説明する。 -
“科学”“リテラシー”に関する一考察 査読あり
寺内 衛、寺内かえで
政経研究 ( 93 ) 71 - 78 2009年11月
共著
担当区分:筆頭著者
“科学”・“リテラシー”という語は、日本においては、西欧における語義とはやや異なった意味を伝達する際に用いられている。これらの語の定義をその語源 から再検討し、そのそれぞれが本来表わす概念により適した日本語表現を提案する。“学ぶということ”の本質を問い、“教養”の重要性を指摘する。
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“専門前”教育の重要さ―初等中等教育の充実こそ急務― 査読あり
寺内かえで、寺内 衛
科学教育研究 32 ( 3 ) 236 - 237 2008年9月
共著
4名の日本人研究者に対して2008年度ノーベル物理学賞・化学賞が授与されたことから基礎科学研究が注目されたが、4博士全員が“ゆとり教育”カリキュラム以前の“文理の分け隔てのない初等中等教育”を受けて育った、という事実は看過してはならず、“専門偏重”の風潮を一日も早く改めることがまさに焦眉の急であること、を指摘した。
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米国のIT覇権 査読あり
寺内 衛
政経研究 ( 78 ) 89 - 99 2002年5月
単著
担当区分:筆頭著者
米国によるIT覇権を、暗号関連技術輸出規制とMicrosoft社のOS戦略という二つの具体的視点から考察してみると、米国連邦政府による、ネットワーク社会という「新大陸」征服に向けた強力な方向付けの存在が浮き彫りになる。今、我々がすべきことは、米国によってde facto standard化されたITの強制的な利用に翻弄されることではなく、なぜ米国がIT覇権を実現できたのか?を真摯に学ぶことである。
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Linux Communityの変容可能性―public domainモデルに基づくTCADツールベンダのビジネスモデルを例に― 査読あり
寺内 衛
政経研究 ( 76 ) 67 - 78 2001年3月
単著
担当区分:筆頭著者
Open Source Softwareという、旧来の資本による“情報囲い込み”戦略とは全く異なった立場の象徴的存在であるLinux Communityにおいても、Microsoftなどの“新独占資本”が行なってきたものと全く同一のビジネスモデルによる“世界制覇”が着々と進んでいる。 ネットワーク社会における“一般的・科学的労働”に主体的に携われるか、あるいは“変容した肉体労働”にのみ従事するかの分岐は、個々人の“自立的な成長”にかかっている。
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PCバブル-Intel / Microsoftの市場戦略 査読あり
寺内 衛
政経研究 ( 74 ) 71 - 80 2000年3月
単著
担当区分:筆頭著者
今日、米国の情報関連産業の隆盛の象徴と見なされているインテル(Intel)社及びマイクロソフト(Microsoft)社のこれまでの製品戦略には、「徹底した下位互換性の維持+α」の実現、という明らかに共通する手法が見いだされる。加えて、1)普及させ、2)独占を図り、3)自らの得意分野での競争に持ち込む、という戦略も共通である。両社とも最終製品に関するコンセプト提案を通じてエンドユーザの囲い込みを積極的に行なってきた。対照的に、“自らの製品が用いられる最終製品の明確なコンセプトをエンドユーザに提示できない”日本の半導体業界は長期的不振に喘いでいる。但し、Intel / Microsoftの現状は、ユーザメリットの希薄なコンセプト提案が目立ち始めており、PCバブル崩壊の日は近いかも知れない。